「私にもできるんじゃないか」と思わせてくれた
竹田和平さんは、経営者、投資家、作家等、各界で著名な人達にメンターと呼ばれてきました。
そんな、和平さんに出会う前は、どんなイメージだったかを尋ねると、「日本一の個人投資家」で偉人伝に出てくるようなスゴい人。
テレビ番組で見た時に、堂々たる風格に感じて近づきにくそうだったと言われます。
でも、実際に会った人の話を聞くと、
和平さんは、「意外に庶民的で、何より一度出会ったら、笑顔が忘れられない。」
「来るもの拒まず、で、いつも温かく迎えてくれました。」
「和平さんが励ましの言葉をかけてくれたことが、自分の人生の支えになりました。」
という言葉を数々頂きました。
これまで、数々の成功者達の自伝を読んでも、良いところしかみえず、完璧な人しか、やっぱり成功できないんだ、と諦めてしまう。
けれど、和平さんは良いところも悪いところも含めて、
「やっぱり、和平さんも人間なんだ」と思い、身近に感じ、
「私にもできるんじゃないか」と思えたことが大きな一歩を踏み出すきっかけになりました、
また和平さんに生前出会う事のなかった人からも、和平さんの生き方を耳にすることで「心が温かくなりました。」
「人生の手本にしたいです。」という言葉を頂いてきました。
どうしても未来を生きるリーダーに伝えたいこと
雲の上のような存在と言われた、和平さんも、かつては、戦時中、中学時代に寮生活をしたときに、食べるものもなく、お母さんが差し入れてくれた、炒った豆を一粒一粒、大切にかじっていました。勉学もままならず、農作業に汗を流した時代がありました。
やがて、食べるものも底をつき、電氣もなく、地に横たわり、藁を敷いて暮らす時、農民出身の秀吉が太閤に立身出世をしていく物語、「太閤記」が心の支えだったといいます。
徴兵されれば、弾丸が腹を打ち抜くというイメージしかできず、親族に迷惑がかかるために、戦争から、逃げることもできないと、思い、「自分はもう命がない」と覚悟したといいます。
終戦の時に、生きる喜びに体が震えあがり、力がこみ上げたといいます。
「沈んだら、かならず浮かぶんだ」
和平さんは、戦時中の体験を糧に、必ず「成功をする」と心に決めていました。
戦後の高度経済成長期は、10軒に1軒しか会社は生き残ることができなかったと言います。
建築業を中心に人件費が高騰し、人手不足に悩まされました。
5年で5倍、10年で25倍以上の生産効率を実現しなければ、
賃金が支払えず、会社はつぶれる。
戦後のゼロからのスタートで、5年で5倍、10年で25倍の所得向上を経営と投資で達成し、激動の時代を生き抜いてきた和平さんには、「どうしてもこれからを生きるリーダーに伝えたいことがある」と言って、語り続けてきました。
晩年、亡くなるまで和平さんは、これからやってくる未来にどう備えるかを、真剣に考え、リーダー達に必要な心の教育に10年間、心血を注いできました。
それは、戦中戦後の激動の時代を乗り越えたからこそ、変革の時代に備え、和平さんが出した最大の結論だったのです。
最期の遺言「自分の言葉を後世に役立ててほしい」
私も和平さんの言葉から人生を大きく変えた一人でした。
「僕は大抵のことは驚きませんから」と言って、数々の人生経験を積み重ねて来た和平さんは、笑ってそれまで歩んできた人生の話を聞いてくれました。
「天は乗り越えられない課題を与えない。だから、あなたは、それだけのことを乗り越えられる天命を持っている。あなたのそれまでの経験は、人生の宝となる。」
と、励まして下さったことでした。
自分の人生が順当だったら、と、何度繰り返し思ってきたことか。
傷ついて、真っ黒に塗りつぶして、一生分の枯れるほどの涙を流して、笑うことも、泣くことも忘れてしまった私にかけてくれた言葉でした。
その時、私の歩んできた辛かった人生が、たった一言で、宝に代わった瞬間でした。
和平さんは、亡くなる最期に望んだのは「自分の言葉を後世に役立たせてほしい」という言葉でした。命を振り絞るようにして、最期まで自分の言葉を求めて訪れる人に、言葉を伝えてきた和平さんの姿を見ました。
私に限らず、出会った一人一人の人生に、かけがえのない言葉を与えてくれた和平さん。
そんな人生に光を当ててくれた言葉を、5年間和平さんの側にいて働き、そして和平さんの最期の後世に生きる人へ託す願いの言葉を死の間際に直接聞いたからこそ、できる限り言葉を遺していく使命が、私にはあると思いました。
自分の生まれ育った日本に恩返しとして、美しい日本を遺したいと和平さんは願い、言葉を遺していきました。
私は、和平さんの心からの願いを、和平さんから受け取った言葉のすべてを、できる限り伝えたいと思っています。
毎日の心を整えるきっかけに
1日たった3分読めば、和平さんが事業や投資など人生を通じて培った経験から、最後に遺したかったこと、知られざる和平さんの日常のユーモアあふれるエピソードを交え、珠玉の言葉をメールで受け取ることができます。
竹田和平さんが最も伝えたかった詩に遺した言葉と、直声の記録から心に響く言葉を厳選し、配信を致します。
これにより、あなたは心が整えられ、これから歩む人生を支える言葉を手に入れることができます。
いますぐ、下記フォームからご登録して、数々の成功者が人生を変えるきっかけになった、和平さんの言葉の数々を手に入れてください。
お待ちしております。
「ありがとう」の感謝を頂いています
- 「出し惜しみなく書いている感じ」
- 「部下から見た上司の目線は、結構、仕事に役に立つ」
- 「心の琴線に触れる言葉が必ずある」
- 「心にちょっと曇りのある時に、助けられる」
- 「ものすごく響くものがあります。和平さんの見守りを感じます」
- 「まるで和平さんが生きていらっしゃるかのようで嬉しいです! 毎日の生活の励みになります!」
- 「一日元氣が出ます!」
など
2016年10月28日創刊以来、読者のみなさまから「ありがとう」とメールを頂き、喜んで頂いています。
私は、自分の出来る限り和平さんの「自分の言葉を後世に役立たせてほしい」という最期の遺言を胸に、言葉を遺し伝え、還元していきます。
和平さんの言葉や、生きた人生に触れてみたいと思って頂ける方を心からお待ちしています。
■プロフィール
竹田和平(たけだ わへい)
130社以上の大株主となり、日本一の個人投資家と呼ばれ、一躍有名になった。
これまで、多くの経営者や成功者の方々と交友を深めてきた。自身を平成の花咲爺と名乗り、経営者や投資家の方を始め多くの方々を励まし続けた。
晩年「智徳志士の会」を立ち上げ、国家財政を黒字化するため、経営者と投資家の方と共に学び、励まし合う活動を行った。
■プロフィール
真田英里(さなだ えり)
2011年8月、まろわ問答講を通じて、竹田和平さんと奇跡的
に出会い、仕事を手伝うように。ホームページ制作、和平さんの講演
会の運営や司会進行役などを務めるようになる。2013年3月、大学を卒業、竹田本社株式会社入社。2014年、和平さんの秘書となる。同年
秋、「日本を財政破たんから救うため」智徳の学びを経営者と投資家に
呼びかける「智徳志士の会 発起人代表会」を立ち上げ。50名の各界の
著名なリーダーに呼びかけ、会を取り仕切る。2015年4月4日より同会
の運営を行った。2016年7月、和平さんの最期を看取る。2023年7月竹田本社株式会社退職
本メール配信は個人による有志の活動です。ご了承願います。